読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

子育てプログラマの人生日記

子育てプログラマが子育て・転職・仕事などで感じたことをつらつら綴ります。

プログラマと発達障害

昨日の世界仰天ニュースで、発達障害のことをやっていた(正確には多動性障害とアスペルガー症候群を持った人のドキュメンタリー風)

以前の職場で全く同じ症状の人と仕事をしたことがあり、思い起こしながらテレビを見ていた。

その人はパートナーの社員さんだったのだが(仮称Nさん)、変な発言や一人で作業をしているときの暴走が多かった。
でも、僕はある程度仕事を一緒にするにつれてNさんの特性がわかってきて、伝え方を気を付けたり、レビューをなるべく挟むようにして細かくチェックしたり、彼がストレスを感じにくい様にしていた。

しかし、まわりのおじさん先輩社員たちは、Nさんと同じチームで仕事したくないとか言ったり、Nさんを無視したりしていた。

最終的に「皆、Nさんを無視しちゃうから、お前しか面倒見れない。頼むぞ。」というクソ上司のトンデモ発言のあと、Nさんはずっとぼくのチームで働くことになった。

--
当時は発達障害という言葉はあまり知られてなかったけど、僕は適材適所で工夫して、Nさんと一緒にちゃんと働けていたと思う。

でも、相手の特性を理解したり、相手によってしゃべり方を変えたりというのは、相手が発達障害の人じゃなくても普通にしていることだと思う。

そこで、発達障害という言葉に少し疑問を感じる。
よく紹介される発達障害は、多動とか、頭が固い(言われたことしかできない)とかそういうものだ。

すぐキレて怒鳴るおじさん、NoといいたいけどNoがいえず何でも安請け合いしちゃうマネージャーとかは違うのか?
彼らは結構生活に支障出てると思う。

この違いはなんだ?基準が曖昧じゃないか?

人は誰でも特性があるよね?長所か短所かは他の人が判断することかもしれないけど。

頭が固いとかは、正直自分の世界だけでいったら誰にも迷惑かけてないし、別に良いことなんじゃないの?

もしかして「一緒に生活してて自分にちょっとでも不快なことをする可能性のある奴ら」を全部障害者あつかいしてないか?

Nさんの例で出てきたクソ上司のように、心が狭く他者の違いを強烈に受け入れられない人がいる。
また、無視するまでいかなくても受け入れられない人が結構な数いる。

この心の狭い人たちが常識(大多数の意見)という曖昧な観点から「相対的に見て変!」という理由で張り付けたレッテルが発達障害ということなんじゃないのか?なんかずるくないか!?

障害者扱いしないと一緒に生活するのが苦痛ですか?

もしかして発達障害は、ある程度常識が発達した今の日本の現代病なのかもしれない。